1965年、日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」が帝人から発売されました。
これは日本のファッション史における画期的な瞬間であり、ミニスカートはその後のファッション業界に大きな影響を与えました。
ミニスカートは、当初は若い女性の間で支持を集めましたが、やがて世代を超えて広がりました。
1967年、野際陽子がパリから帰国した際に初めてミニスカートを着用し、その後も1967年には英国モデルのツイッギーが来日し、ミニスカートを着用して注目を浴びました。
また、同年には美空ひばりがミニスカート姿で歌謡番組に登場し、「真赤な太陽」を歌いました。
ミニスカートブームはますます広がり、山本リンダや木の実ナナ、藤ユキ、金井克子などの歌手たちがミニスカートをテーマにした楽曲をヒットさせました。
1969年には、当時62歳の首相夫人・佐藤寛子が訪米の際にミニスカートを着用し、年齢を超えてミニスカートの人気が広がっていることが分かります。
当初のミニスカートはひざ丈よりもやや短い程度でしたが、一部の女性は既存のスカートを改造して自分で短くすることも流行しました。
このトレンドは、漫画『サザエさん』でも取り上げられ、その影響力が広がっていたことがわかります。
しかしながら、1973年から1974年頃に第一次のミニスカートブームは終息し、しばらくの間は控えめなスカート丈が主流となりました。
しかし、1980年代末から1990年代初頭のバブル期には、膝上30~35cmの「超ミニ」や「マイクロミニ」と呼ばれる極端な短さのミニスカートが再び流行しました。
この流行は、ボディコンシャスなスタイルの流行に関連しています。
その後も、若年層を除いてもミニスカートの流行が繰り返されました。
スカートの丈と経済状況の好況不況との関連性も指摘されることがあります。
ミニスカートは常に社会の変化とともに進化し、ファッションの一環として重要な役割を果たしてきました。