【1918年】シベリア出兵:日本軍がウラジオストク上陸

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1918年から1922年にかけて行われた「シベリア出兵」。

この出兵はチェコ軍団の救出という名目で行われましたが、実際には共産主義封じ込めや帝政時代の資産保全など様々な政治的な意図がからみました。

シベリア出兵は第一次世界大戦の連合国であるイギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国が、革命軍に捕らわれたチェコ軍団の救出を名目にシベリアに共同で実施。

この出兵には、共産主義の拡大を抑えるという目的の他にも、帝政時代の外債や外資を保全する狙いがありました。

日本は兵力7万3,000人を派遣し、ハバロフスクや東シベリアを占領しましたが、酷寒とパルチザンの抵抗に苦しんで目標を達成できませんでした。一方、白軍のアレクサンドル・コルチャーク政権の崩壊により、英仏の革命政権圧殺計画は頓挫しました。

1920年にアメリカも出兵目的を達成し、撤退を決定しましたが、日本は異なる理由で駐兵を続けました。

しかし、日本の駐留は国際的な緊張を引き起こし、国内外からの批判が高まりました。

最終的に、日本も1922年に撤退しましたが、この出兵は日本に多くの犠牲をもたらし、日米関係の悪化や日ソ国交回復の妨げとなりました。

ソビエト・ロシア側の兵力・死者・損害については、正確な数値は不明ですが、複数の資料によれば、数千人以上の死者が出たとされています。

また、死傷者の数や被害額については異なる情報も存在します。

シベリア出兵は、単なる軍事行動以上の意図を持った複雑な出来事でした。

国際的な駆け引きや政治的な思惑がからみ、その影響は戦後の国際関係にも大きな影響を与えました。

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